2019年03月27日公開
2019年03月27日更新
講釈を垂れるの意味や使い方とは?講釈を垂れる人の心理や特徴
講釈を垂れるの意味や使い方について紹介します。講釈を垂れる人とは一体どんな特徴があるのでしょうか。また、講釈を垂れるとはいい意味で使われる言葉なのでしょうか。講釈を垂れるについて例文や同じ意味の言葉などからチェックしていきましょう。
目次
「講釈を垂れる」の意味や使い方をマスターしよう!
講釈を垂れるという言葉をちゃんと使いこなすためにも、その意味や使い方についてしっかりとマスターしていきましょう。
実は、講釈を垂れるというのは、どこでも使える言葉ではありません。あまり面と向かって「あなたは講釈を垂れる人だよね…。」とは言わないほうがいいでしょう。
講釈を垂れるの意味や使い方をマスターして、相手に失礼のないようにしてください。万が一、相手に失礼があってしまうと、講釈を垂れるのは自分ではないのに、自分が批判されてしまうことも考えられます。
「講釈を垂れる」の意味とは?
講釈を垂れるの意味とは、だらだらとそして長々と話をし、かつ、上から目線で物事を語ることを言います。「この人偉そうだな。」とか「話が全く面白くないしなんかイラっとする。」という印象を人に与えがちになるでしょう。
講釈を垂れるという言葉は、何度か聞いたことがあるのではないでしょうか。意味がいまいち分からないと思う人もいたでしょうが、いい意味で使われる言葉ではありません。
講釈を垂れる人と言われてしまうのは、恥ずかしいことでもあるのです。
「講釈を垂れる」の語源・由来
講釈を垂れるの語源や由来ですが、その昔、軍記物の読み聞かせをしていたことからきています。読み聞かせというのは、だらだらと長い文章を読むところがあるため、講釈を垂れるはそこからきている可能性が高いでしょう。
「講釈を垂れる」の使い方
講釈を垂れるの使い方について紹介します。講釈を垂れるの意味を見ていると、講釈を垂れるとはそんなにいい意味を持っていないため、より使い方に注意していかないといけないのが分かるでしょう。
しかし、講釈を垂れるというのをどうしても使いたいときもあるはずです。そこで、講釈を垂れるを使うときは、どうやって使っていったらいいのか、例文でチェックしましょう。
「講釈を垂れる」を使った例文
講釈を垂れるという言葉を使った例文を紹介します。講釈を垂れるというのをどんなときに使ったらいいのか、また、どんな場面でなら使うことができるのかについてしっかりとチェックしてください。
そして適切な使い方もしていきましょう。間違った使い方をしてしまうと、「あなたも上からだね…。」と思われる可能性もあるので、本当に気をつけておいたほうがいいのです。
また、ビジネスシーンなどで、思わず使ってしまうことで、相手の機嫌を損ねることも考えられます。
例文①講釈を垂れる
講釈を垂れるの例文には、「あの人は講釈を垂れる人だから。」とか「講釈を垂れることしかしない。」、「講釈を垂れるので偉そうに見える。」などがあります。
どれも、講釈を垂れる人に対して、少しのイラ立ちを感じるような言葉になっているのが分かるでしょう。講釈を垂れるというのを使うときは、講釈を垂れる人と関わった後に自分の気持ちがモヤモヤした場合になることが多いのです。
「講釈を垂れる人は嫌いだな。」などのように使うこともあります。
例文②講釈を垂れてばかり
講釈を垂れるの例文には、「講釈を垂れてばかり」というものもあります。例えば、「あの人は講釈を垂れてばかりで何もしない。」とか「講釈を垂れてばかりでいい気になっているだけ。」などのようなものがあります。
他にも、「講釈ばかり垂れて何様なの?」というように、少し使い方を変えたものもあるでしょう。この場合も、講釈を垂れている人に対して、「上から目線で嫌になる。」という気持ちを持っているものになります。
講釈を垂れてばかりという使い方なので、関わるたびに、いつもいつも講釈を垂れられるということもあるのでしょう。
例文③講釈を垂れるなら
講釈を垂れるの例文には、「講釈を垂れるなら」というものもあります。例えば、「講釈を垂れるならちゃんとしてほしい。」とか「講釈を垂れるならそれなりのことをしてほしい。」などです。
講釈を垂れるならというのは、講釈を垂れている人に対して、歯向かうような使い方にもなります。あまりにも講釈を垂れる人がいて、限界まで我慢した末に、使ってしまうこともあるでしょう。
講釈を垂れる人に対して、「じゃあこうしてよ!」という要望を示したものでもあるのです。
「講釈を垂れる」の類語表現
・べらべらと ・ゴタクを並べる ・能書きを並べる ・お題目を並べる ・ピーチクパーチク |
上記の言葉が、講釈を垂れるの類語になります。これらの類語を見ていると、やはり講釈を垂れるとは、そんなにいい意味で使われる言葉ではないというのが分かるでしょう。
べらべらと
講釈を垂れるの類語には、「べらべらと」があります。例えば、「あの人はべらべらと話しているだけ。」とか「べらべら話して感じ悪いな。」などのような使い方をします。
べらべら話す人とは、自分のペースで何かを話し、相手のペースをまるで考えていないところがあります。そのため、相手に不快感を与えることが多いのです。時には、「べらべらうるさいな…。」と思われることもあるでしょう。
べらべらと話す人の中には、上から目線がきつすぎる人もいます。そのため、「べらべら話してイライラする。」と思われることも多くなるでしょう。
ゴタクを並べる
ゴタクを並べるとは、つまらないことをくどくど言うとか、自分勝手なことを言い続けるようなことを言います。漢字にすると、「御託を並べる」になります。
ゴタクを並べるを使うときは、「あいつの話しはゴタクを並べただけ。」とか「ゴタクを並べた話で、中身がない。」などのようになります。講釈を垂れると確かに似ているのが分かるでしょう。
講釈を垂れると似ているため、ゴタクを並べるというのも、やはりいい意味で使われるような言葉ではないのです。
能書きを並べる
能書きを並べるとは、自分が自分で凄いと思っているところをだらだらと述べるという意味があります。自分で自分の凄いところを言っているのですから、相手からしたら上から目線で言われている気分になるでしょう。
能書きを並べる人とは友達になりたくないとか、関わりたくないと思う人もいるはずです。使い方としては、「能書きを並べる話ばかりする。」とか「能書きを並べることで優越感を得ている。」などがあるでしょう。
能書きを並べる人は、実は自分に自信がないところもある可能性があります。
講釈を垂れる人の心理的特徴
講釈を垂れる人の心理的特徴について紹介します。講釈を垂れる人の心理は、一体どうなっているのでしょうか。正直、講釈を垂れると言われるのは、恥ずかしいものでもあります。
その恥ずかしいことを自分でしているということでもあるので、講釈を垂れる人というのは周りから「何を考えているのかな?」とか「どうしてわざわざ自分から講釈を垂れて恥ずかしい思いをするのかな?」と思ってしまうでしょう。
講釈を垂れる人のことを理解することはできないという人もいるでしょうが、少しでも気持ちが分かってあげたらイライラしなくなるのではないでしょうか。そのため、講釈を垂れる人の心理をチェックしていきましょう!
優越感がある
講釈を垂れる人の心理には、優越感があるというものがあります。自分が人よりも優れていると自分で思っているため、優越感を得るために講釈を垂れているところがあるのです。
人が知らない話をペラペラとしている自分となると、より自分に酔いしれるところがあるでしょう。優越感を得たいという気持ちがあるということは、どこかで自分にコンプレックスを持っているというのも考えられます。
講釈を垂れる人は、コンプレックスを隠したいという心理もあるからこそ、優越感が得られるような態度をついついとってしまうという可能性もあるでしょう。
すごいと思われたい
講釈を垂れる人の心理には、すごいと思われたいというものもあります。すごいと思われたいという気持ちがかなりあるからこそ、ついつい講釈を垂れてしまうのでしょう。
この心理を持っている人は、自分で色んな情報をかき集めては、人にその情報を披露しているところがあるでしょう。そのため、自分のことではないのに自分ですごいと感動したことをまるで自分のことのようにペラペラ言うときがあるのです。
すごいと思われたいという気持ちがあるだけで、威張ってやろうとは思っていないのですが、なぜか上から目線だと思われやすい傾向にもあります。
自分が正しい
講釈を垂れる人の心理には、自分が正しいというものがあります。自分が話していることは確かな情報だし、自分が間違っているはずがないという気持ちが常にあります。そのため、ついつい意地になってしまうこともあるでしょう。
自分が正しいと思っているために、相手が自分が話したことを受け入れてくれなかったとしたら、不機嫌になってしまうこともあるのです。
自分が正しいという心理を直すことができない限り、講釈を垂れる人は「悔しい。」という心理も一緒に持ち合わせることになるのです。
講釈を垂れる人の性格的特徴とは
講釈を垂れる人の性格的特徴について紹介します。講釈を垂れる人は、どんな性格をしているのでしょうか。講釈を垂れるということは、性格的にもなにか特徴があるはずです。
ついつい講釈を垂れてしまう人の性格について見ていきましょう。
自分以外に否定的
講釈を垂れる人の性格的特徴には、自分以外に否定的というものがあります。自分より凄い人のことを否定し、自分と違う意見を言う人を否定し、自分を受け入れてくれない人のことを否定するところがあるのです。
主に自分以外の人を受け入れることができないので、否定してしまうのでしょう。否定する気持ちが強ければ強いほど、講釈を垂れるのに必死になるところもあります。自分が垂れた講釈を否定されようものなら、さらに上から相手を押さえつけるでしょう。
とにかく、他人に否定的なので、否定的な気持ちを曲げることがありません。否定するからこそ、より上から目線になってしまうのです。
自分が一番大事
講釈を垂れる人の性格的特徴には、自分が一番というのがあります。例えば、周りに人がいると、「この中で自分が一番頭いいし、自分が一番すごい。」という意識が出ているところがあるのです。
常に自分が一番という気持ちを持っているため、上から目線に見えてしまうこともありますし、上から目線がやめられないという結果になることもあるのです。自分が一番大事なので、相手が傷ついても気にしません。
「私が一番だから。」と無意識に思っているところもあります。この性格を持っている人は、「性格が悪すぎる。」と思われることも多くなるでしょう。
講釈を垂れる人と上手に付き合う方法
講釈を垂れる人と上手に付き合う方法について紹介します。講釈を垂れる人とは、どうやって付きあっていけばいいと思いますか?
講釈を垂れる人とまともに付き合っていると、自分が何人いても足りない可能性があります。なんといってもイライラしてしまうからです。
講釈を垂れる人と上手に付き合うことができたら、気持ちが楽になれるのではないでしょうか。
右から左に受け流す
講釈を垂れる人と上手に付き合う方法は、右から左に受け流すことです。右から左に受け流すことができないタイプの人は、まともに受け取ってしまうのではないでしょうか。それでは心が持ちません。
講釈を垂れる人が何かを言っているときには、「あーはいはい。」と流しておいたほうがいいのです。半分聞いていないように自分の中でシャッターを作ってもいいはずです。
右から左に受け流すことが上手にできたら、講釈を垂れる人の言葉なんて気にならなくなるでしょう。
褒めたりしない
講釈を垂れる人と上手に付き合うときは、「うん、うん。」と適当に返事をしておいてください。決して褒めたりしてはいけません。褒めてしまうと、事あるごとに講釈を垂れてこられるので注意してください。
自分の知っていることを自慢するかのように話してくるので、それを「すごいね!」と言ってしまうと、さらに加速して講釈を垂れてしまうのです。
ちょっと単純なところがあるので、適当な返事だけでも十分通用するのです。
講釈を垂れる人にならないようにしよう!
講釈を垂れるの意味を見ていると、講釈を垂れる人にはならないほうがいいというのが分かったのではないでしょうか。講釈を垂れる人と言われてしまうと、「うわ。自分ってそうなんだ。」と一気に自信をなくしてしまうことがあるでしょう。
講釈を垂れるのではなく、謙虚な人を目指したほうがいいのです。自分の意見を言うとか、自分の知っていることを主張するというのは、悪いことではありません。それはそれで、きちんと能力がある証拠でもあります。
しかし、謙虚さがそこになかったら、せっかくの能力も台無しになってしまうでしょう。謙虚な気持ちがあって人とコミュニケーションをとるなら、講釈を垂れると思われることはありません。是非、謙虚な気持ちを持って人に接してください。