ビートたけしの昔の若い頃はイケメン!昔のかっこいい画像も紹介!
ビートたけしの若い頃の画像やエピソードを紹介します。ビートたけし若い頃はイケメンでしたが、女性にはモテなかったようです。どうしてモテなかったのかもチェックしましょう。また、ビートたけし若い頃に出演した番組についてもまとめていきます。
目次
ビートたけしの若い頃の画像やエピソードを紹介
ビートたけしさんはタモリさんと明石家さんまさんの3人で、日本のお笑いBIG3と呼ばれています。そんなビートたけしさんの若い頃についてみていきましょう。
ビートたけしさんは若い頃、どのような事をしていたのでしょうか。ブレイクした理由についてもチェックしましょう。
ビートたけしとは?
ビートたけしさんの若い頃の活動をまとめるためにも、まずはビートたけしさんがどのような男性なのかを確認しておきましょう。
ビートたけしのプロフィール
本名 | 北野武 |
生年月日 | 1947年1月18日 |
現在の年齢(2019年現在) | 72歳 |
出身地 | 東京都 |
血液型 | O型 |
活動内容 | お笑いタレント・司会者・映画監督・俳優 |
所属グループ | ツービート |
所属事務所 | T.Nゴン |
主な作品 | ドラマ「赤めだか 」 映画「アウトレイジ」 |
ビートたけしさんは1980年代の漫才ブームでブレイクしたお笑いタレントです。「THE MANZAI」や「オレたちひょうきん族」が話題となり、一躍人気芸能人になりました。
1990年代頃からは司会業を中心に活動していきます。同時に、映画監督として様々な映画を発表していきました。ビートたけしさんはバラエティ番組に出演する時には芸名を使いますが、映画監督として活動する時には本名の北野武の名義を使っています。
唯一、「平成教育委員会」ではバラエティ要素がありましたが北野武名義で出演していました。その理由については、アカデミックな番組だったからだと語っていました。また、落語も習っていて、高座名は立川錦之助、または立川梅春を名乗っています。
ビートたけしの若い頃がイケメンだった
それではビートたけしさんの若い頃についてみていきましょう。ビートたけしさんは、面白いという事でも人気がありましたが、若い頃にはイケメン芸人としても注目されていました。ビートたけしさんのイケメンといわれる若い頃の画像もチェックしてみましょう。
ビートたけしの若い頃のイケメン画像
ビートたけしさんの若い頃の画像です。スーツを着ていてきっちり感があります。細身の顔立ちで、童顔でもあったようです。
しっかりと整えられているヘアスタイルは、上品さを感じる事もできます。話をしなければ、どこかのおぼっちゃまのような雰囲気もあります。
外見もきれいめにまとめていた事から、幅広い年代の人から人気があったのでしょう。しかし、顔の雰囲気は今とはだいぶ違うようにもみえます。
バイクの交通事故後が痛々しい
ビートたけしがバイク事故で負傷して早25年…(・_・;
— SPIDER-MAN@Spitter (@SPIDERMANFURU) August 1, 2019
あの時は本当にショックだったがでも無事で本当に良かった。 pic.twitter.com/MyCBUAgLNF
イケメンとして人気だったビートたけしさんですが、1994年にバイクで交通事故を起こしています。奇跡的に命はとりとめたものの、顔面マヒが残ってしまいました。口が半開きになってしまい、目の焦点も定まっていません。
どうして事故が起こったのか、ビートたけしさんも当時の事をあまり覚えていないようですが、カーブを曲がり切れずにガードレールに激突。4mほど飛ばされてしまったそうです。
顔面はヒドイ状態で、何度も手術を行ったともいわれています。現在でも左の口元あたりがひきつるような感じが残ってしまいました。
ビートたけしの若い頃のエピソードを紹介
ビートたけしさんの若い頃のエピソードもチェックしていきましょう。ビートたけしさんは、自叙伝のような本を何冊か出版されているため有名になったエピソードもあります。どのようなエピソードがあるのかをみていきましょう。
親から勘当されていた
ビートたけしさんの母親は、教育熱心な母親だったようです。そのおかげで明治大学に進学していますが、大学2年生の時に大学に行く事が嫌になってしまったそうです。
大学の手前の駅で降りて、ジャズ喫茶に通い始めました。さらに、そこでバイトまで初めてしまったそうです。全く大学に行かなくなってしまったビートたけしさんは、大学から追い出される形で中退しています。
その事を聞いた母親は、泣いて怒ったのだとか。当然です。そして「二度と帰ってくるな」と勘当されてしまいました。
若い頃はモテなかった?
若い頃はイケメンだったビートたけしさんですが、意外にも女性にモテなかったそうです。ビートたけしさんは大学をさぼってバイトをしていたお店で女性と出会い、7年間お付き合いをしたそうです。
しかし、とてもプラトニックな関係だったのだとか。2人で会って、お茶をして解散というデートが続いたそうです。
大人になってから不倫などのスキャンダルが報道されていますが、当時のビートたけしさんはとても純粋でシャイな男性だったようです。それほどにシャイだったため、女性とのお付き合いはその1人だけだったようです。
ツービートを結成
ビートたけしさんは大学中退後、浅草フランス座でアルバイトを始めています。芸人見習いとして、エレベーター番をしていました。しかし、あまり愛想はよくなかったようで、当時のビートたけしさんを井上ひさしさんは不機嫌そうな青年だったと語っています。
そんなビートたけしさんに、タップダンスの練習でもしておけと言ったのが、ビートたけしさんの師匠となる深見千三郎さんでした。ビートたけしさんは、言われた通りタップダンスの練習をして、ある日舞台に出演するチャンスを掴み取る事ができました。
人が笑う姿に感動したビートたけしさんは、ビートきよしさんとコンビを組んで活動を始める事になります。当時、ネタはビートたけしさんが書いていたそうです。
毒ガス標語が人気になる
ビートたけしさんとビートきよしさんのコンビは、ツービートという名前で売り出しました。1980年代に漫才ブームが訪れると、一気に知名度が上がっていきます。
ツービートが得意としていたのは、毒舌漫才と毒舌ネタです。毒舌で使われた言葉が「ジジイ」や「ババア」「ブス」に「カッペ」でした。さらに時事ネタをコントや漫才のネタにも取り入れていき注目度を上げていきました。
ツービートは漫才の中に「赤信号みんなで渡れば恐くない」など、標語のようなネタを取り入れています。この標語ネタが毒があるといわれた事から「毒ガス標語」として人気となりました。
コマネチ誕生秘話
さらにビートたけしさんは、数々のネタを生み出していきます。ビートたけしさんのネタの1つに「コマネチ」がありますが、もともとはネタでもなんでもなくて、ただ名前を度忘れしてしまっただけだった事が分かっています。
「コマネチ」という名前を言おうとしたけれど、その時ふっと名前を忘れてしまったのだとか。仕方がないのでレオタードのジェスチャーで分かってもらおうとしたところ、ふっと名前を思い出して「コマネチ」と言ったら、それがネタになってしまったそうです。
偶然生まれたネタでしたが、大きな笑いを生み出しました。こういう偶然も、ビートたけしさんの才能の1つなのでしょう。
フライデー襲撃事件
ビートたけしさんの若い頃のエピソードで忘れられないのは、フライデー襲撃事件でしょう。映画「アウトレイジ」もびっくりの話です。
発端は、ビートたけしさんの不倫をフライデーが報道したことでした。39歳のビートたけしさんが21歳の専門学生と不倫していた事が報道されました。その取材方法に怒ったビートたけしさんが、フライデーを襲撃したのです。
消火器を噴射したり、雨傘などで殴ったりしたそうです。ビートたけしさんはこの事件で、懲役6か月、執行猶予2年の判決が下されています。
ビートたけしの若い頃の主な出演番組
ビートたけしさんの若い頃の出演番組をみていきましょう。どの番組も、現在では伝説となっているものばかりです。現在ではコンプライアンス的に、もうできないといわれている番組もあるようです。
オレたちひょうきん族
1981年から1989年まで放送されていたのが「オレたちひょうきん族」でした。ビートたけしさん、明石家さんまさん、片岡鶴太郎さん、山田邦子さんなどなど、とても豪華なメンバーでコントで構成されていた番組でした。
痛快なりゆき番組 風雲!たけし城
1986年から1989年まで放送されたのが「痛快なりゆき番組 風雲!たけし城」です。視聴者参加型のアトラクションバラエティ番組で、海外からの参戦者も多い番組でした。セットには、総工費1億円がかけられていたともいわれています。
天才・たけしの元気が出るテレビ
1985年から1996年まで放送されていたのが「天才・たけしの元気が出るテレビ」でした。ダンス甲子園や高校生お笑い甲子園など、現在でも番組でリスペクトされる企画が多数存在した番組でした。
出演者もビートたけしさんをはじめ、松方弘樹さんや高田純次さん、兵藤ゆきさんなど豪華なメンバーが揃っていました。
ビートたけしはまだ活動の幅を広げている?
若い頃に数々の人気番組に出演していたビートたけしさんですが、現在でも活動の幅を広げようと色々なチャレンジをしています。2019年には紅白歌合戦に歌手として出場する事も決まりました。
ビートたけしの若い頃はやはりイケメン
ビートたけしさんの若い頃の画像や、出演番組についても紹介しました。ビートたけしさんは、少しやんちゃな時期もありましたが、現在は挑戦を続けるかっこいいおやじになっています。