大信田礼子の現在!元旦那が俳優の都倉俊一である女優の今に迫る
大信田礼子さんってご存知でしょうか?1970年代に女優・歌手として大活躍した、抜群のプロポーションの持ち主です。都倉俊一さんと結婚されましたが、4年で離婚されたと言います。現在は何をされてるのでしょうか?大信田礼子さんの経歴と現在に迫ります。
大信田礼子とは?
大信田礼子とはどのような人物だったのでしょうか?一昔前に一世を風靡する人気を誇った大信田礼子について詳しく見ていきたいと思います。
大信田礼子のプロフィール
本名 | 大信田礼子 |
生年月日 | 1948年9月15日 |
現在の年齢 | 70歳 |
出身地 | 京都府京都市 |
血液型 | B型 |
活動内容 | 女優、歌手 |
所属グループ | なし |
所属事務所 | なし |
主な作品 | TV「プレイガール」 映画「同棲時代-今日子と次郎」 |
大信田礼子さんは、1970年代を代表する女優の1人で、当時はその美貌が話題になった女性です。数々の映画やドラマに出演し、たくさんのファンに愛されてきました。
また、女優としてだけでなく、歌手としても映画「同棲時代-今日子と次郎」の主題歌「同棲時代」を歌い、その歌声が話題にもなったと言います。
都倉俊一さんと結婚されていますが、わずか4年で離婚したとか。現在は70歳ですが、何をされているのでしょうか?
大信田礼子の身長
大信田礼子さんは、そのすらっとした長身を生かして、アクション映画にも出演してたと言います。なんと、10代の時にはアメリカで開催されたミスコンテスト10代女王コンテスト世界大会で優勝した経歴の持ち主だとか。
その美貌は、日本のみならず、海外でも認められた強者。さて、身長はどれくらいあったのでしょうか?情報によると約170cmぐらいだと言います。当時の170cmですから、女性の中でもかなりの高身長だったのではないでしょうか。
最近であれば、170cmの女優さんはたくさんいますが、当時はさほどいなかったので、一際目立つ存在であったことは間違いないようです。
大信田礼子の経歴
大信田礼子さんは、1970年代を代表する女優で、最近はテレビでお見かけすることはほとんどありません。そのため、名前を聞いたことない!って人も多いと思います。
若い人からすればあまり馴染みのない名前かと思いますが、実は凄い女優さんだったと言います。ここからは、大信田礼子さんを深く知っていくため、経歴を簡単に見ていきましょう。
先ほども言ったように、アメリカで開催されたミス10代コンテスト世界大会で優勝の経歴を持ち、華々しい芸能生活をスタートさせたようです。実は沢田研二さんとは小中高の同級生だったとか!?詳しく調べてみましたので、ご覧ください。
小中校は沢田研二と同級生
大信田礼子さんのことは知らない人が多いと思いますが、沢田研二さんとなれば話は別。その甘いマスクと歌声は、今でも語り継がれています。実は、大信田礼子さんと沢田研二さんは、小中高の同級生だったと言います。
その美しいルックスは、学生時代から話題になっていたのではないでしょうか。2人が同級生とあれば、学校中で噂になり、モテていたこと間違いありません。
抜群のプロポーションを誇る女優の大信田礼子さん。高校時代はなんと8cmも身長が伸びたと言います。通常、高校生になるとさほど身長が伸びることはないと思いますが、彼女の異例の成長は話題になったと推測されます。
ミス10代コンテスト世界大会で優勝
高校時代に8cmも身長が伸びた大信田礼子さん。当然、そのスタイルの良さは、周りから比べても群を抜いてたでしょう。その抜群のプロポーションを世に知らしめることになったのが、ミス10代コンテスト世界大会なんです。
大信田礼子さんは、京都府立鴨沂高等学校在学中に、アメリカで開催されたミス10代コンテスト世界大会でなんと、優勝したと言います。優勝と言う快挙は、当時話題になったでしょう。
もちろんその美貌は、ミスコンだけで終わる訳がありません。美しすぎるルックスは群を抜いており、そこから芸能活動をスタートさせることとなります。
1966年に女優デビュー
アメリカで開催されたミス10代コンテスト世界大会で優勝したことがきっかけになり、大信田礼子さんは同じ年の1966年にNHKの『太郎』というドラマで女優デビューすることになります。
その抜群のスタイルは、アクション映画にもぴったりということで、数々のアクション映画をはじめとする映画に出演し、東映『ずべ公番長』の全4シリーズで主役を務めあげました。
デビューしてまもなく、引っ張りだこ状態に。もちろん美貌だけではなありません、その光る魅力は数々の観客を魅了し、順風満帆な女優人生を送っていたようです。
1970年に歌手デビュー
1966年に女優デビューしその4年後に、なんと、歌手デビューも果たしてしまいます。デビュー曲は、『女の学校』という曲で、CBSソニーから歌手デビュー。
その後、ご自身も出演された、映画『同棲時代-今日子と次郎』の主題歌『同棲時代』を歌ったことで、歌手としての知名度も定着していったようです。『同棲時代』が発売されたのは1973年でした。デビューからわずか7年ほどで、地位を確立されました。
数々のドラマに出演
そこからはドラマに映画にひっぱりだこに・・。1969年から始まった『プレイガール』や、先ほどもちらっと紹介した『ずべ公番長』など。アクション映画だけでなく、数々の役に挑戦し、彼女は注目の的になっていきました。
忙しく充実した日々を送っていた大信田礼子さん。女優として歌手として、大きな成功を遂げ、益々の活躍が期待されていたようです。
大信田礼子の主な出演作品
デビューから女優に歌手にと大活躍してきた大信田礼子さん。その魅力は、高校時代に開花したようです。その美しいプロポーションと独自の魅力で、観客を魅了し続けた芸能人生でした。
ここからは、大信田礼子さんの代表的な作品を振り返っていきたいと思います。一番新しいところでは、『相棒 Season12』に出演したことでも話題になっていました。
ドラマ、映画、舞台、歌手とマルチに活動したきた大信田礼子さんの代表作品と、役どころを紹介していきます。
大信田礼子出演のドラマ
大信田礼子さんは、デビューから数々のドラマに出演されています。ドラマデビューは、1968年『旅がらすくれないお仙』で、女スリの役がはまっていたようです。彼女の代表作と言えば、1970年、東京12chで放送された『プレイガール』ではないでしょうか。
そのいでたちも衝撃的で、大きな影響を与えたと言います。ドラマ部門では、『プレイガール』と、2013年に出演した『相棒 Season12』の役どころを見ていきましょう。
相棒
『相棒』シリーズに出演したのは、なんと2013年だと言います。これ以降ドラマの出演は今のところ確認されていません。『相棒 Season12』の第9話『かもめが死んだ日』に唯井紀代美役で出演しています。
他にもゲスト出演されてる人がいるようですが、主要メンバーの中には名前が入っていませんので、さほど重要な役ではなかったようです。しかし、久しぶりのドラマ出演とあり、ファンの人は嬉しかったのではないでしょうか。
プレイガール
ドラマ『プレイガール』は1970年、東京12chで毎週月曜日の21:00~21:56まで放送されたテレビ映画です。続編には『プレイガールQ』があり、再放送の『プレイガール傑作シリーズ』も、同時間帯に放送されました。
お色気女性アクションドラマで、当時流行していたミニスカートの前上段蹴りによるパンチラシーンなどが有名です。大信田礼子さんは初めて出演されたのは、第51回でした。第52話~85話までのメンバーとして大活躍されました。
初めて出演した時は、ミニスカートでパンツが見えるのを恐れ、芸部百般という役でジーンズ・ノーメイクで登場。ナイフ投げ、柔道、空手、合気道のシーンもあり、見事な腕前だったと言います。
大信田礼子出演の映画
続いては、大信田礼子さんが出演した映画を見ていきましょう。そのプロポーションを活かした数々のアクション映画に出演してきた大信田礼子さんですが、代表作と言えば『ずぶ公番長』『同棲時代-今日子と次郎-』ではないでしょうか。
真逆の役どころを思える2作品ですが、大信田礼子さんはどんな役を演じたのでしょうか?作品の概要と合わせて見ていきましょう。
ずべ公番長
東映『ずべ公番長』は全4作あり、すべての作品に主演し、話題になりました。本作では、当時流行っていた女優たちが揃い、ノーブラ、シースルーで登場するとあり、男性陣を虜にした作品です。
彼女の仁義を切るセリフ「生まれは横浜、育ちは孤児院。北は北海道、南は九州まで、女だてらに全国を練り歩き、付いた通り名はおリカ」が有名になり、お色気むんむんのアクションシーンに釘付けになった人が続出しました。
同棲時代-今日子と次郎-
『同棲時代-今日子と次郎-』は、1973年4月に公開された作品で、由美かおるさんと、仲雅美さんが主演したことで話題になりました。そもそもは漫画が原作になっており、テレビドラマとしても放送されていたようです。
同棲を始める今日子と次郎に待ち受ける困難に立ち向かう姿を妖しい美しさで描いた作品で、大信田礼子さんは、礼子という役で出演されています。礼子は次郎が通うスナックのママ。今日子と喧嘩してお店にやってきた次郎と体の関係になってしまいます。
主役ではありませんが重要な役どころで、主題歌の『同棲時代』も歌っています。
大信田礼子出演の舞台
大信田礼子さんは、映画・ドラマ以外にも舞台にも出演されていたようです。舞台について調べてみると、なんと2013年に『銭形平次 ~きよしの平次 立志編~』に出演されていたことがわかりました。こちらの作品ではどんな役を演じたのでしょうか?
銭形平次 ~きよしの平次 立志編~
『銭形平次 ~きよしの平次 立志編~』は2013年6月2日~30日まで明治座で行われた氷川きよしさんの舞台です。第二部では氷川きよしさんのコンサートが行われ、第一部の舞台に大信田礼子さんも出演していたようです。
出演者の名前を見てみると、大信田礼子さんの名前は3番目にあるので、重要な役どころだったのでは?と思います。浪花屋喜助の妻・お吉の役を演じており、白山藩の財政を掌握することをたくらんでる役だったようです。
大信田礼子出演の歌
大信田礼子さんは歌手としても大成功されています。大ヒットとなった『同棲時代』はもちろんですが、他にも『女はそれをがまんできない』『ノックは無用』などの曲も人気があったようです。ここからは、歌手としての大信田礼子さんに迫っていきましょう。
女はそれをがまんできない
『女はそれをがまんできない』は、1971年5月に発売されたシングル曲です。セクシーな脚線美を見せてくれるジャケットが話題になった曲でもあります。作詞を担当したのは阿久悠さんです。B面には『それがどした』いう曲が収録されています。
ノックは無用
『ノックは無用』は、先ほど紹介した『女はそれをがまんできない』の次に発売された曲です。ジャケットは、バブルバスに浸かってるセクシーな大信田礼子さんが笑ってる姿。こちらもセクシーショットにやられてしまうジャケ写です。
B面にはドラマ『冠婚葬祭屋』の主題歌である『かんこんロック』が収録されています。こちらも、作詞を担当したのは阿久悠さんになります。
大信田礼子の元夫は?離婚理由は?
大信田礼子さんは、『同棲時代』をリリースしてから、歌手としての地位も確立していきました。アルバムも4枚出しており、彼女の魅力はリスナーを魅力していったのです。
彼女が結婚した都倉俊一俊さんは、ヒットソング『同棲時代』の作曲を担当した男性です。そこからシリーズ化して『愛のくらし-同棲時代-』もリリースされています。しかし、歌手としてはその曲が最後になり、都倉俊一さんと結婚されることになります。
元夫は都倉俊一
都倉俊一さんは、シンガーソングライター・作曲家として活動しており、大信田礼子さんの『同棲時代』『愛のくらし-同棲時代-』等の作曲を担当した男性でもあります。
ピンク・レディーの楽曲を担当したり、『スター誕生』の審査員を担当したりと、売れっ子の作曲家だったようです。
2人は『同棲時代』で出会い恋に落ち、1974年作曲家・都倉俊一と結婚されました。結婚とともに芸能界を引退された大信田礼子さんですが、なんと1978年には都倉俊一さんと離婚され、芸能界に復帰したと言います。
離婚の理由は?
たった4年間しか続かなかった都倉俊一さんとの結婚生活。なぜ、2人は離婚してしまったのでしょうか?結婚して芸能界引退までしましたので、都倉俊一さんのことを本気で愛していたんだと思います。
しかし、都倉俊一さんは結婚する前からプレイボーイでモテてたと言います。手帳にはびっしり女の子の連絡先が書いてあったとか・・。結婚するにあたって、それらの連絡先は燃やしたと言います。
では、なぜ離婚にいたったのでしょうか?理由は明かされていませんが、一説によると都倉俊一さんはマザコンだったのでは!?と言われています。もしかしたら、それが原因の1つになったのかもしれません。いずれにせよ4年の結婚生活は短すぎる気がします。
子供はいない
4年間の結婚生活、2人の間には子供はいたのでしょうか?調べてみると、どうやら2人の間には子供はいなかったようです。できなかったのか?それとも作らなかったのか?まだそのタイミングではなかったのかもしれません。
もしかしたら、離婚する前から夫婦仲が上手くいっていなかった可能性もあります。いずれにせよ、2人の間に子供はいませんでしたので、離婚した今となっては、それで良かったのかもしれません。
大信田礼子の現在は?
現在70歳の大信田礼子さんですが、現在はどうされているのでしょうか?芸能活動に復帰され、2013年には『相棒』などにも出演されています。それ以降、何かお仕事をされているのでしょうか?大信田礼子さんの現在を調べてみました。
現在は舞台を中心に活動中
どうやら、現在は舞台を中心に活動されているようです。どのような作品に出演されているのか情報はありませんが、柔らかな表情の女性になっており、若い人たちと切磋琢磨しながら作品を作り上げてるようです。
『相棒』以降、テレビなどでお姿を見かける機会が今のところはありませんが、もしかしたら今後ドラマなどに出演されるかもしれません。その日を楽しみに待ちましょう。
再婚はしていない
現在は、誰かと再婚されているのでしょうか?現在の大信田礼子さんを調べてみると、どうやら1人暮らしをしていて、フクロウと一緒に暮らしてると言います。
都倉俊一さんとの離婚以来、ずっと1人を貫いているようです。その表情から読み取れるように、柔らかく穏やかな日々を過ごしてるのではないでしょうか。
お仕事も舞台中心ではありますが、色々手がけてるようなので、安定した生活をされているように思います。
大和田礼子は舞台で活躍している!
今回は、大信田礼子さんについて紹介してきました。これまでの経歴から見ると、高身長で抜群のプロポーション、女優・歌手として大成功された方だということがわかりました。
都倉俊一さんと離婚されてからは、ドラマや舞台などに出演しながら、現在も芸能活動を続けているようです。70歳を感じさせない、柔らかく穏やかな表情からは、現在落ち着いた生活を過ごしてるのが読み取れます。
2013年以降、テレビでお見かけする機会はありませんが、もしかしたら今後ドラマなどに出演される可能性もあると思います。また元気な姿を見れるのを楽しみに待ちましょう。