喜多川美佳の若い頃!三船美佳の母親で女優の現在に迫る!
三船美佳さんの母親として、再び世間に喜多川美佳さんの名前が知れ渡りました。現在、喜多川美佳さんは芸能活動をしているのでしょうか。また、母親でもあり女優でもある喜多川美佳さんは、現在どのようなことをしているのでしょうか。喜多川美佳さんの現在を調査しました。
目次
三船美佳の母親・元女優の喜多川美佳とは?
三船美佳さんと高橋ジョージさんの離婚騒動が起きた際に、母親の喜多川美佳さんの存在も同時に取り上げられることが多くありましたが、みなさんは喜多川美佳さんのことをどれほどご存知でしょうか。
一時は、喜多川美佳さんの名は大きく世間に知れ渡っており、女優として大きな活躍をしたわけではないにも関わらず、その名を知らない人はいないほどの著名人でもありました。
三船美佳さんの母親、元女優である喜多川美佳さんとは、一体どのような人で、どのような経歴を辿ってきたのでしょうか。また、なぜここまでの有名人になっていたのでしょうか。それらを詳しく解説していきましょう。
喜多川美佳のプロフィール
本名 | 大野照代(おおのてるよ) |
生年月日 | 1948年10月28日 |
現在の年齢(2019年現在) | 70歳 |
出身地 | 東京都 |
血液型 | 不明 |
活動内容 | 女優 |
所属グループ | なし |
所属事務所 | なし |
主な作品 | 「国盗り物語」「赤毛」 |
喜多川美佳の経歴
誰もが女優の道を志して、さまざまな試験を突破して女優になるものですが、喜多川美佳さんは実は、女優を志願して女優になったわけではないことをご存知でしょうか。数々の偶然が重なり、喜多川美佳さんは女優としてデビューしたのです。
それでは、喜多川美佳さんはどのような経歴で、女優として本格的に活動することになっていったのでしょうか。詳しく見ていきましょう。
学生時代はバレリーナを目指す
喜多川美佳さんが、元女優として活動していた経歴からすると意外かもしれませんが、元々、喜多川美佳さんは女優として活躍することは、一切考えていませんでした。
小学校を在学しているときから、喜多川美佳さんは将来バレリーナとして活躍することを目指して、中学校では陸上部、高等学校ではダンス部に所属するなど、バレリーナとしての技術を磨くことを一筋に、努力を重ねていました。
事実、高等学校で所属していたダンス部では、主将を務めるまでの能力と努力をしていました。
1966年にCMデビュー
喜多川美佳さんが芸能界の道に入ったのは、みずからの意思ではなく、当時三年生の先輩の行動によって、芸能界の道に誘導されることになりました。先輩が、喜多川美佳さんには内緒で「東宝ニューフェイス」試験に応募したのです。
のちに、勝手に試験に応募されたことを喜多川美佳さんは知りましたが、当時はバレリーナになることだけを考えていたので、二次試験にも受けず、そのまま放棄するという判断を下しました。
ここで偶然にも、応募した書類がCMモデルオーディションに回され、喜多川美佳さんは、再び芸能界に入るための機会が訪れました。
二度目の試験に、喜多川美佳さんは再び試験を放棄するのではなく、度胸試しとして受けたところ、見事試験に合格し、それからCMタレントとしてのデビューが決まったのです。
当時、まだ未成年で学生だった喜多川美佳さんは、学校にはそのことを報告せずに内緒にして、CMタレントとしての活動を始めました。
1967年にミス007に選出される
1967年9月には、喜多川美佳さんはユナイト映画で募集していた「ミス007」に選出され、そして西ドイツへと招待されました。
その後、喜多川美佳さんは芸名を「北川美佳」として、テレビドラマ「平四郎危機一髪」に、初めて女優として出演することになりました。
1969年に「赤毛」で映画デビュー
1969年には、三船プロダクション製作の映画「赤毛」に初出演し、映画デビューを果たしました。それ以降、喜多川美佳さんはさまざまな映画やテレビドラマに出演し、女優としての活躍を務めていきました。
特に、喜多川美佳さんは三船プロダクション製作の映画に出演することが多く、のちに「三船プロダクションの女帝」とまで呼ばれるほどの存在になっていました。
喜多川美佳の主な出演作品
喜多川美佳さんは、あまり主演女優を務める数は少なく、特に端役を演じることが多くありましたが、それでも喜多川美佳さんの名は広く知れ渡っています。
喜多川美佳さんが、それぞれどのようなドラマや映画に出演し、どのような役をしてきたのか、ご紹介していきましょう。
喜多川美佳出演のドラマ
喜多川美佳さんが出演する作品は、日本の時代劇が多く、デビュー作となった「平四郎危機一髪」や「水戸黄門」、「新・平家物語」など、大河ドラマの女優として数多く出演しています。
その中から二つの作品を抜き出して、喜多川美佳さんがどのような役を演じたのか、ご紹介しましょう。
国盗り物語
「国盗り物語」は、1973年1月7日から12月23日にかけて放送された大河ドラマです。原作は司馬遼太郎の歴史小説「国盗り物語」となっています。美濃の国を盗ることに生涯を賭けた主人公の斎藤道三と、織田信長と明智光秀の生きざまを描くドラマです。
喜多川美佳さんは、明智光秀の娘で荒木新五郎の妻でもある、お静として出演されました。
TOKYO DETECTIVE 二人の事件簿
「TOKYO DETECTIVE 二人の事件簿」は、1975年4月1日に放送された刑事たちを主役にしたテレビドラマです。
主人公の宮坂伸彦と、ライバルの真樹一夫が、同じ刑事課に勤務する刑事として、数々の事件の捜査に駆ける二人の姿を通し、さまざまな人間模様を描くドラマとなっています。北川美佳さんは第二話の少女架刑で、ゲストとして出演されています。
喜多川美佳出演の映画
喜多川美佳さんは、テレビドラマだけではなく、映画にも出演していますが、「赤毛」「新選組」「待ち伏せ」など、その多くが三船プロダクション製作の映画です。
その中でも、初の映画デビューとなった「赤毛」と「待ち伏せ」での、喜多川美佳さんの役どころをご紹介しましょう。
赤毛
映画「赤毛」は、1969年に、三船プロダクションが製作した、江戸を舞台にした日本の時代劇の映画となっています。革命期にある時代の中で、百姓上がりの官軍陸士の権三が、虐げられている民衆や女郎を解放するべく奔走する物語です。
喜多川美佳さんは、三船敏郎さんが演じる主人公の「権三」の手により解放される、多くの女郎のうちの一人、女郎B役として、名のない端役として出演しています。
待ち伏せ
映画「待ち伏せ」は、1970年3月21日に公開された、日本のアクション時代劇となっています。こちらも「赤毛」と同じく、三船プロダクション製作の映画です。出演する俳優陣が、石原裕次郎さんや勝新太郎さんと、豪華なキャストが勢ぞろいとなっています。
喜多川美佳さんは、主人公が道中で訪れる茶屋で働く、明るい看板娘のお雪役として出演し、多くの実力ある俳優陣に気後れせずに、最後まで立派に演じてみせました。
喜多川美佳の若い頃の画像を紹介
三船美佳さんの母親が喜多川美佳さんだと知って、または、喜多川美佳さんの娘が三船美佳さんだと知り、どこか三船美佳さんが、母親の喜多川美佳さんの若い姿と似ていると感じた人も多くいたのではないのでしょうか。
喜多川美佳さんの若い姿を見る限り、三船美佳さんの顔立ちは、確かに母親の喜多川美佳さんと似た部分が多くあります。母親の喜多川美佳さんと同じく、女優タレントとして活動している三船美佳さんなので、演技にもどこか母親に似たところを感じるかもしれません。
喜多川美佳の夫や子供は?
喜多川美佳さんが、三船美佳さんの母親であることがわかりましたが、さらに衝撃的なのは、喜多川美佳さんの夫は、かつて日本や世界に大きく名を馳せた、三船敏郎さんということでしょう。
夫婦と娘の三人揃って、一家全員が芸能活動をしている芸能人一家ですが、それぞれどのような仕事をされてきたのでしょうか。詳しくご紹介していきましょう。
娘は三船美佳
娘の三船美佳さんは、女優タレントとして活動しています。母と同じく「美佳」という名前ですが、この名前は母の芸名から授けられたものでした。日本の学校ではなく、インターナショナルスクールで教育を受けていたためか、少し日本の常識的な教育には疎い面を持っています。
1997年に放送された大河ドラマ「毛利元就」の出演をきっかけに、バラエティ番組への出演が増加しました。また、翌年の1998年9月12日には、16歳の誕生日に、24歳年上の高橋ジョージさんと結婚するなど、世間を大きく賑わせました。
歳が大きく離れているにもかかわらず、おしどり夫婦と称されるほど二人の関係は良好で、2011年には理想の有名人夫婦を選ぶ「パートナー・オブ・ザ・イヤー2011」にも選出されました。また、結婚して4年後の2004年11月には第一子となる長女を出産しています。
幸せな家庭としての印象がある夫婦でしたが、2015年1月16日には、三船美佳さんが高橋ジョージさんと離婚訴訟中であることを公表し、世間を再び大きく揺るがせました。原因は高橋ジョージさんからの度重なるモラルハラスメントで、数々のハラスメントに苦しんだ果ての決断でした。
そして、2016年3月29日に裁判を取り下げ、協議離婚が成立し、夫婦関係は終わりを迎えました。しかし、それでも高橋ジョージさんは、三船美佳さんにモラルハラスメントをしたことはないと、否定をしているようです。
三船美佳の父親は三船敏郎
三船美佳さんの父親は、かの有名な三船敏郎さんです。三船敏郎さんは、本の俳優、映画監督、映画プロデューサーをしており、特に俳優としての名は日本国内だけにとどまらず、世界にも大きく広がっていました。
当時、監督として異質な才能を持っていた黒澤明さんと、その黒澤明さんの数々の作品に出演する俳優の三船敏郎さんは、まさに最強のタッグともいえるほど、両者ともに大きな力を発揮していました。
黒澤明さんが監督として、国際的にも「世界のクロサワ」と称してスターとして取り上げられると同時に、俳優として出演していた三船敏郎さんも海外に大きく取り上げられ、「世界のミフネ」と呼ばれるまでに、世界の映画関係者に影響を与えてきました。
国内では「羅生門」や「七人の侍」「用心棒」などを演じ、また、海外の映画作品でも「価値ある男」や「ミッドウェイ」に出演し、国内、国外共に俳優として大きな歴史を残してきました。
三船敏郎とは内縁関係
しかし、喜多川美佳さんと三船敏郎さんは正式に婚姻関係を結んでおらず、実は内縁関係だったのです。娘の三船美佳さんも初めは認知されず、三船敏郎さんが病で亡くなり、遺言によりようやく正式に三船敏郎さんの娘として認知されました。
ですが、事実上は内縁関係でありながらも、アメリカのフォード大統領の歓迎晩餐会などでは、三船敏郎さんが喜多川美佳さんを妻として同伴させるなど、喜多川美佳さんを本妻よりも妻として扱うような行動が見受けられていました。
三船敏郎は娘の美佳を溺愛していた
1982年9月に、喜多川美佳さんが第一子の長女となる三船美佳さんを出産し、三船敏郎さんの遺言があるまで正式に我が子として認知することがありませんでしたが、三船敏郎さんは三船美佳さんに対して冷たくしていたわけではなく、それどころか溺愛するほどでした。
当時、海外での仕事が多かった三船敏郎さんは、通訳を通さずに直接自分の口で会話をしたいと思っており、その考えから娘の三船美佳さんを日本の学校ではなく、インターナショナルスクールに入れました。
通学までの長い時間を退屈させないために、当時学生だった三船美佳さんにキャビアを買っておやつとして与えるなど、娘に対する愛情はとても強く、確かなものでした。
喜多川美佳の現在は?
三船美佳さんの離婚騒動をきっかけに、喜多川美佳さんの存在が再び世間に広がりつつありますが、現在、喜多川美佳さんは何をしているのでしょうか。
現在は芸能界を引退
喜多川美佳さんは、1999年に公開された映画「ラッキーロードストーン」の出演を最後に、芸能界の活動を引退しました。出演した映画「ラッキーロードストーン」も、28年ぶりの出演でもあったため、以前から引退を考えていたのかもしれません。
三船美佳の離婚騒動で再び話題になる
高橋ジョージさんとの離婚騒動により、再び喜多川美佳さんの存在が世間に知れ渡ることになりました。これまで喜多川美佳さんのことを知らなかった人々も、これをきっかけに、三船美佳さんの母親として認知され始めました。
2018年8月16日には、日本テレビ「ダウンタウンDX」で、親子ゲスト企画で娘の三船美佳さんとともに出演し、親子初のテレビ出演を果たして夫の三船敏郎さんとのエピソードを話すなど、数々の話題を語りました。
三船美佳と孫の3人で同居している
現在、喜多川美佳さんは娘の三船美佳さんと、三船美佳さんの長女である孫の三人で、マンションに同居して暮らしているといわれています。娘の三船美佳さんが離婚すると決意した際に、喜多川美佳さんは、三人で生活することを決めたようです。
ドラマのような人生を送る親子の今後に注目
喜多川美佳さんと三船敏郎さんが内縁関係であったり、三船美佳さんが我が子としてなかなか認知されなかったり、三船美佳さんが高橋ジョージさんと離婚騒動を起こしてしまったりと、何かと大きな話題が絶えない、まさにドラマのような激動の人生を送る一家です。
喜多川美佳さんや三船美佳さんたちがどのような道を辿るのか、今後の人生がどう展開するかがまだまだ気になることでしょう。