風船おじさん(鈴木嘉和)の今現在!消息やその後は?ファンタジー号事件の真相
「風船おじさん」の事件を、聞いたことはあるでしょうか?「ファンタジー号事件」とも呼ばれた、一時期、世間をにぎわせた「風船おじさん」こと「鈴木嘉和」の事件について、概要や事件の真相、鈴木嘉和の経歴と、風船おじさんの今について迫ります。
目次
風船おじさんは今どうしてる?
「風船おじさん」と聞くと、ディズニーの有名なアニメ「カールじいさんの空飛ぶ家」を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。実は、同じような話が、現実の事件として日本でも過去に起こっていたのです。
日本で「風船おじさん」と呼ばれた「鈴木嘉和」さんのことをご存知でしょうか?まるで映画「カールじいさんの空飛ぶ家」のように、風船を大量につけたファンタジー号で、飛行を試みたのが、鈴木嘉和さんです。
1992年に起きた「ファンタジー号事件」で広く世間に知られるようになった、風船おじさん・鈴木嘉和さんの今に迫ります。
ファンタジー号事件とは?
ファンタジー号事件とは、1992年に日本で実際に起こった事件です。ヘリウムガズで膨らまた、大量の風船を使って、空の旅に挑戦したおじさん・鈴木嘉和さんの事件です。
ゴンドラに大量の風船を結び付けて、なんと琵琶湖からアメリカを目指して出発したのです。ファンタジー号とは、その時の乗り物に付けられた名前です。
なぜ「事件」なのかというと、ファンタジー号は運輸省からの許可無しに、飛行実験の途中に突然飛び立ってしまったからです。そして、そのまま行方不明になってしまったのです。
風船おじさんこと鈴木嘉和の経歴
不思議な「ファンタジー号事件」の前に、まずはそんな事件を起こした「風船おじさん」こと鈴木嘉和さんの経歴を見てみましょう。突然、飛行船で旅に出てしまうような人なので、元々冒険家かなにかかと思われますが、実は意外な経歴の持ち主なのです。
鈴木嘉和さんの経歴を、詳しく見てみましょう。
ピアノの調律業を営む
鈴木嘉和さんは、元々ピアノの調律師でした。鈴木嘉和さんの両親も、ピアノの調律師だったのです。両親の影響で音大に進み、卒業後はヤマハに勤めました。そこでピアノの調律を行っていました。
意外と真面目な経歴で、両親の職業や、音大に進学できたことからも、比較的裕福であったのではないかと推測できます。この経歴だけ見ると、とても風船で空を飛ぶような人には思えないでしょう。
音楽サロンや雀荘・パブなども経営
しかし、鈴木嘉和さんは調律師としてずっと務めていたわけではなかったようです。ヤマハを退職し、経営に乗り出すのです。最初は音楽教材の販売を行っていましたが、その後レストランなど他業種の経営にも挑戦します。
このことから、未経験の事にも果敢に挑戦する性格で合ったことが見えてきます。しかし、この時期は「冒険家」としての挑戦には興味がなかったようです。
4億~5億の負債を抱えて倒産
しかし、経営が上手くいっていたのも一時のようです。鈴木嘉和さんは様々な分野でお店を経営していましたが、業績は伸びず、結果的に図べ手の店舗を閉店する他ない状況に追い込まれました。
さらに、経営が上手くいかなかったことから、多額の借金を背負うことになったのです。その総額は4億から5億とも言われています。強い意志をもって挑戦した経営に、ことごとく失敗し、このころから鈴木嘉和さんは変わっていったようです。
横浜博覧会に出店するも経営不振
風船おじさんこと、鈴木嘉和さんは横浜博覧会でも騒ぎを起こしています。1989年の3月に横浜市で開催された横浜博覧会でのことです。横浜博覧会にテナント出店をしたのですが、会場内での立地の悪さや、博覧会自体の集客も順調でなかったことから、経営は不振でした。
そこでなんと、客集めとして手塚治虫さんがデザインした横浜博のマスコットである「ブルアちゃん」の着ぐるみを勝手に自分で制作し、中に自分が入って撮影会やサイン会を実施したようです。
博覧会運営当局に抗議し立てこもる
その後、横浜博覧会の閉幕が迫った10月に、横浜博覧会協会がなんの対策も取らないことに怒りました。
抗議して早朝から高さ30メートルもある鉄塔に、横浜博覧会のマスコット・ブルアちゃんの着ぐるみを持ち足場伝いによじ登り、約7時間も籠城する騒ぎを起こしたのです。
風船おじさんがファンタジー号で飛び立つまでの経緯
では、冒険家ではなかった鈴木嘉和さんはが、その後どのようにしてファンタジー号で飛び立つまでに至ったのでしょうか。ここからは、風船おじさんという異名の元になった、ファンタジー号事件に至るまでの経緯をご紹介します。
最初の風船飛行は多摩川から
博覧会から約1年後、風船おじさんの経営する会社は倒産してしまいました。実はその頃、風船おじさんは債権者たちに「風船で太平洋を横断すればお金を得ることができる」と話していたようなのです。
しかしそれだけではなく、自分自身が楽しみたかったという気持ちもあったのかもしれません。とにかく、このときから風船で空を飛ぶことに、本格的に挑戦するようになったようです。
ゴンドラに風船を括り付けて、まずは多摩川から飛行実験に臨みました。
民家の屋根に不時着し警察に怒られる
最初こそ順調に飛んでいたものの、途中でトラブルが起こり、ゴンドラの重りがはずれてしまいます。これによってゴンドラが急激に上昇してしまい、高度が高過ぎる「飛びすぎ」状態に陥ってしまいました。
そこで、風船おじさんは風船を一つ切り離していったのですが、これにより今度は高度が下がり過ぎてしまいました。その結果、ゴンドラは東京にある民家の屋根に不時着したのです。
いきなり自宅の屋根にゴンドラが不時着したら、騒動になるでしょう。このときも、警察に通報され怒られるはめになったようです。ある程度の飛行はできましたが、高度の調節が上手くできなかったようです。
ファンタジー号での飛行
ではここからいよいよ、ファンタジー号での飛行について見てみましょう。
最初の実験では、高度の調節が上手くできず、20数キロメートルで民家の屋根に不時着してしまった風船おじさんでしたが、その後どのようにしてファンタジー号で飛び立つまでになったのでしょうか。
また、ファンタジー号事件の経緯もしっかり見ていきましょう。どうしてその後行方不明になってしまったのか、理由がみえてくるはずです。
名目は上昇実験
ファンタジー号事件が起きた日は、ファンタジー号は上昇実験のみ行う予定で舌。といのも、ゴンドラに風船を取り付けただけの乗り物は、運輸省から「安全ではない」と判断されたため、横断飛行の許可が得られませんでした。
そのため、この日もアメリカ横断へは飛び立たず、200メートルの上昇実験のみ行う、という予定だったようです。許可が出ていないのだから、まだ横断するとは言えませんし、横断を実行することもできないはずだったのです。
いきなりアメリカへと飛び立つ
しかし、実際にはファンタジー号は風船おじさんを乗せて、アメリカ横断へと飛び立ってしまったのです。
後から考えると、このとき風船おじさんは元々「アメリカ横断」を決行するつもりだったのかもしれません。いくら申請をしても、運輸省から許可は出ないと考えたのでしょうか?そのため、名目として「上昇実験のみ行う」と公言していたのかもしれません。
風船おじさんは上昇実験を終えると、そのままファンタジー号を繋いでいたロープを外し、平然と「アメリカに行く」と告げて飛び立ったのです。周りには大学教授やマスコミがいましたが、制止を振り切って出発してしまいました。
2日後にSOS信号を発信
ファンタジー号は、出発した日は無事に飛行を続け、飛行中の様子を家族に電話で伝えるなどしましたが、2日後には家族と音信不通になり、同日深夜にSOS信号を発信しました。
しかし、音信不通にはなっていたものの、この段階ではファンタジー号の消息は分かっていたようです。ただ、何のトラブルがあってSOS信号を発信したのかは、いまだに明らかになっていません。
探索機がファンタジー号を発見
SOS信号は海上保安庁が受信し、海上保安庁は捜索機でファンタジー号を探し始めました。そしてその日の早朝に、ファンタジー号と風船おじさんは発見されました。場所は宮城県沖、800キロ地点の海上で風船おじさんは飛行していました。
音信不通になったのは、おそらく携帯電話の電波の受信範囲から出てしまったためと考えられます。このとき風船おじさんは、海上に向かって手を振っていました。その後SOS信号もやめましたが、海上保安庁は監視を続けました。
しかし、無事であり風船おじさんには挑戦を続ける意思があるとして、3時間後に監視は終了しました。
雲の間に消えたファンタジー号
一旦はSOS信号を発信したものの、その後の無事も確認され、海上保安庁の監視も終了したファンタジー号は、その後なんと消息が分からなくなってしまいました。雲間に消えていき、その後どうなったのかが全く分かっていないのです。
この一連の騒動を「ファンタジー号事件」と呼び、ファンタジー号でアメリカ横断を目指した鈴木嘉和さんを「風船おじさん」と呼んでいるというのが、ファンタジー号事件の全容です。
ファンタジー号とはどんな乗り物?
アメリカ横断を目指したものの、雲間に消えて行方不明になってしまったファンタジー号とは、一体どんな乗り物だったのでしょうか?
ファンタジー号は、ゴンドラに風船を沢山くくりつけた乗り物です。見た目は、ディズニー映画の「カールじいさんの空飛ぶ家」にかなり近いものがあります。
風船おじさんはなぜファンタジー号で飛び立った?
ではなぜ、風船おじさんはファンタジー号でアメリカを目指したのでしょうか?理由について、明確な発言はなかったようですが、二つほど理由と考えられるものがあります。
では、なぜ風船おじさんはファンタジー号で空へ飛び立ったのか、理由を探ってみましょう。
米国ネバダ州の泣き砂保護?
一説には、風船おじさんはファンタジー号でアメリカに行った理由として、米国ネバダ州の泣き砂保護ではないか?という意見もありました。しかし、これについては、真相かどうかは分かっていません。
借金返済?
風船おじさんがファンタジー号で飛行した理由として、有力なもう一つの説が「借金返済」です。風船おじさんは当時から妻に「借金返済のために挑戦をやりとげて見せる」や「成功すれば必ずCMになるはずだ」と語っていたようです。
4億円を超える借金を返済するために、風船をくくりつけた乗り物で空を飛ぶという、話題性に富んだ挑戦をなり遂げることを、大きなチャンスと考えたのではないでしょうか。
風船おじさんの家族は?
先ほど、風船おじさんには妻がいたとありましたが、風船おじさんにはどんな家族がいたのでしょうか?風船おじさんの妻子について調べてみました。
ピアニストの妻・石塚由紀子
風船おじさんの妻は、ピアニストの石塚由紀子さんです。しかし実は、には離婚歴があり、石塚由紀子さんとの結婚は3回目の結婚でした。石塚由紀子さんとは、同じ高校の同級生でしたが、音楽教材の仕事がきっかけで交際に発展し、結婚に至ったようです。
そそしてなんと、ファンタジー号事件は結婚した半年後に起こった事件だったのです。石塚由紀子さんは事件の後も風船おじさんの帰りを待ち続けましたが、その後ポルトガル人の男性と再婚しています。
しかしその後すぐに病気になり、他界してしまいました。
バイオリン奏者のfumikoの他に娘2人
風船おじさんと石塚由紀子の間には子供はいませんでしたが、石塚由紀子も再婚で結婚したため、石塚由紀子の連れ子がいました。この連れ子に、バイオリニストのfumikoがいます。
fumikoは一時期女優としても活躍しており、NHKのドラマに出演したこともあるようです。連れ子は全員で3人おり、全て女の子でした。
母娘で音楽グループを結成し活動
バイオリニストのfumiko以外の娘も、音楽の道に進み、ある時期には母娘で音楽グループを結成し活動していました。賞を受賞したり、海外でも公演があったりと、活躍していたようです。
音楽グループとして、話題性だけでなく、きちんと実力もあったようです。
借金は妻が返済中
風船おじさんには、4億円を超える借金がありましたが、その借金は残された妻や家族が返済していたようです。妻であった石塚由紀子さんはもう亡くなっているので、娘が返済しているのか、もう返済しおわったのかは分かっていません。
たまにマスコミに取り上げられる風船おじさん
事件の後も、たまにマスコミに取り上げられるのが、風船おじさんのファンタジー号事件です。そのため、事件から時間が経っても風船おじさんの存在を知っている人が多く、ロマンのある事件として語り継がれているようです。
風船おじさんの今現在
消息不明となった風船おじさんは、今はどうなっているのでしょうか?その後見つかったのか、それともまだのままなのか、世間をにぎわせた風船おじさんの「今」について調べてみました。
アラスカで遺体発見?
アラスカで風船おじさんの遺体が見つかったという話が、一時期噂として広まりました。しかしこれはデマであり、誤った情報です。今現在、風船おじさんの遺体が発見されたという事実はありません。
風船おじさんの遺体は今でも発見されていないのです。もうファンタジー号事件が20年以上も前の事ですから、今後も発見されるという可能性は低いでしょう。
また、もし見つかったとして、可能性があるとすれば生存していることとなりますが、悲しいかなその可能性も低いでしょう。
家族が失踪宣告を受ける
風船おじさんは、消息を絶ってからその後なんの手掛かりもありません。家族は、風船おじさんの帰りを待っていましたが、最終的に「失踪宣告」がなされました。日本では、7年以上行方不明となると、法律で「死亡扱い」となります。
風船おじさんも、法律上は「死亡」したことになっています。もちろん、遺体も何も見つかっていないので、生きている可能性も無くはありませんが、やはり可能性は低いでしょう。
死因も遺体も謎のまま法律上「死亡」
風船おじさんは、飛行中に消えてからその後なんの手掛かりもありません。生きているのか、亡くなったのかも分からないまま、謎となっています。
法律上では「死亡」したことになっていますが、度々マスコミにの事件が取り上げられるため、生きていると願っている人たちもいるようです。
風船おじさんは謎のまま
世間をにぎわせた風船おじさんの事件は、今も真相が明らかになっていません。消息もなにもかも謎のままになってしまいました。しかし、その結末も幾度と世間を騒がせた「風船おじさんらしい」のかもしれません。